ASDで良かったと思うこと

何を書こうか迷っていたのですが

こういうタイトルの話はあまり見たことがないので、ちょっと書いてみようかなと思います。

 

 

私の発達障害は『ASD』のみで

いわゆる『グレーゾーン』に位置する人間です。

普通に社会生活を送ることができます。

自分で稼ぐことができ、無事に一人暮らしを送ることができるのです。

 

しかし、発達障害にあることには変わりありません。

長年、生きづらさを抱えて葛藤しました。

漠然とした『辛い』という気持ちを伝えても、受け入れてもらえず

『頑張れ』『お前ならできる』と両親に言われ、傷つきながら育ちました。

 

とても育てづらい子供でした。

両親はとても立派な人達です。

毒親でなく、子供のことを考え、生きていくために必要なことをキチンと教えてくれるような人達です。

 

そんな人達のもとで育っても、私の自己肯定感はとても低かったのです。

 

両親の育て方が悪かったわけではないのです。

私の受け取り方が独特だったのでしょう。

 

傷つきながら育ったとは思いますが、葛藤して、考えて、病院に行って、自分を受け入れて…

そういう沢山の壁を乗り越えて、私は両親の愛情を知ることができました。

それがとても嬉しいです。

 

何が言いたいかというとですね…

私は子供を育てたことがないので

ASDの視点を持った子供の意見として

こういうことが言いたいのです。

 

『愛情をかけ続ければ必ずそれに気づく時がきます』

 

さて、前置きがかなり長かなりましたが

私がASDで良かったなと思うことを書いていきます。

 

 

圧倒的優位な『視覚記憶』という才能

 

私の記憶は写真のように鮮明に残ります。

調子が良い時には、頭に残った映像を読むことができるくらいです。

例えば、バスで通り過ぎた景色。

一瞬で通り過ぎた看板などの映像記憶を思い出し、後からその文字を読むことができたりします。

 

また、絵を描こうと思ったとき。

残念ながら、私は絵の勉強をあまりしなかったので自分の頭の中の映像をアウトプットする能力がありません。

しかし、絵の書き方やアウトプットの仕方を学べば一瞬見た映像を鮮明に描き出すことができるということが感覚的にわかります笑

 

 

構造とルールを理解する能力

 

パターンを見つけるのがもの凄く得意です。

なので、マニュアル作りをさせると誰もがわかりやすい説明書きを作れると思います。

また、人にものを教えるのが得意だと思います。(私だけかしら?笑)

要はルールを見出すのが得意なので、何かを説明させようとしたときに内容が整頓されているので、わかりやすいみたいです。

論文を書いたり、図で説明して欲しいなどの資料作りが得意です。

 

 

高い知能と能力

 

基本的に頭の回転は早い方です。

ベクトルは一定方向かもしれませんが笑

得意なことに関しては1を説明すれば8ほど理解できるでしょう(感情は、無理!笑)

 

また、高い知識欲を持っているので

興味のあることに関しては深い教養を得ることができます。

 

私は何かに対して、知識欲を一点集中させることはありません。

なので『何を詳しく知っているの?』と聞かれても、ちょっとわかりません笑

 

そういうASDもいます(^ω^)

 

とはいうものの、出来ることは多いです。

音楽は作れるし、絵も(頑張れば)描けます。

映像を作ることやアクセサリーを作ることもできます。

要は、熱量が傾いたとき

普通の人が努力してやっと出来ることが意図も簡単にできてしまうことがあるのです。

 

その熱量と努力が合わさったときに高い才能に繋がります。

 

自分で言うのは恥ずかしいのですが…

小さな天才なのです。

 

 

 

いかがでしょうか?

頑張って努力しても出来ないことがある反面

努力しなくても簡単に出来てしまうことがあります。

それが発達障害という凹凸の才能を持った人間だと、私は思います。

ASD女性はどのように定型女性に偽装しているのか②

今回は『女子トークの構造』について書こうと思います。

 

 

自己啓発本などを読むと

『女性らしい話し方』とか『話すより聞きなさい』みたいな

…より良い会話の仕方??

が書いてあるように思います。

 

『会話の仕方』も大切な要素の1つです。しかし、私がずっと知りたかったのは仕組みの方です。

最近『優しい女性社会』で生きている私には

今まで意味不明で理解不能の『女子トーク』が優しくて、愛情に満ちているものに感じます。

 

その仕組みを書いていけたらと思います。

 

 

表面的に見た会話の構造

まずは、女性が相手に何かを伝えようとするときの会話の構造についてです。

『起承転結』を例にして図解化してみましょう。

男性や仕事をする人の話し方の順番としては

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であることが多いと感じます。

話にはオチがあり、オチが無い場合にはその出来事が起きた理由を先に話します。

 

女性の話し方はこうです。

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出来事(ストーリー)自体が結果であり、一見するとオチが無いように思います。

どうしてその事が起きたのかという場面説明の部分が多いのが特徴です。

 

言葉上では見つけることが出来ませんが、見えない部分も含めるとオチがあるのです。

 

 

見えない部分を含めた会話の構造

私の大好きな教本の1つである

『妻のトリセツ』から引用します。

女性脳には「心の通信線」なるものが存在します。そのため、会話の感じ方が4パターンあります。

 

①心は肯定ー事実も肯定

②心は肯定ー事実は否定

③心は否定ー事実は肯定

④心は否定ー事実も否定

 女性脳同士の会話では、基本③と④は使わない。つまり、事実を肯定しようが否定しようが問題ないのだが、共感のために会話をする女性脳は、心=気持ちを否定したら会話が成り立たないだでなく、人間関係が成り立たないのだ。

黒川伊保子 編著(2018) 妻のトリセツ 講談社+α新書)

 

つまり、女性の会話では『心』を否定するという行為が存在しません。

ところが、ASDは『心』や『気持ち』などの

目に見えない、形が無いものは認識できない傾向にあります。

ですので、ここからは私個人のとらえかたで説明します。

 

 

見えない部分を見つける方法

女性が出来事(ストーリー)をしゃべるのは、相手が場面を想像しやすくするためです。

(同じ目線に立ってもらうため?という解釈もあるかと…)

ですが、その場面で話し手がどんな気持ちだったかを想像する必要は無いと思います。

なぜなら、気持ち自体は本人にしかわからないからです。

 

ですので、方法としては文の頭に

『想像してみて』をつけてみるとわかりやすいのではないでしょうか。

 

例えば、ある女性から

『今週の天気を見たら雨マークばかりだったわ!』

と言われたとします。

頭に「想像してみて」をつけてみましょう。

 

『(想像してみて)今週の天気を見たら雨マークばかりだったわ!』

 

どんな場面が浮かびますか?

 

私だったら

朝起きて、スマホで週間天気予報を見てみたら雨マークばかり。それを見て落胆している姿を想像します。(追加で今週は洗濯物を干したったのになと思い浮かべているところまで想像してみます)

そして、その返事に

『今週雨なんですか?嫌ですねー、ジメジメするし!(落胆した姿への共感)』

と返すことができます。

 

別にその想像が間違っていてもいいんです。

本当はその女性は今週の天気が雨だったので喜んでいたのかもしれません。

その場合、彼女はこう返してくるからです。

 

『本当ね、雨ってジメジメして嫌なところもあるよね。(私が想像した落胆した姿に共感したことへの共感)

でも、私は雨のしっとりした感じも好きよ。(事実は雨が好きなので否定)』

 

そのときは素直に

『〇〇さんは雨がお好きなんですね。(雨が好きという感情に共感)』

と返してあげるといいかと思います。

 

 

女子トーク

「言葉しりとり」ではなく「気持ちしりとり」

口で発した言葉をそのままそっくり受け取ってしまうASDにとっては、この「気持ちしりとり」は理解に苦しむ部分です。

 

女性達の表面上の話題は

買い物の話→職場の話→お菓子の話→何か別の話題になり…

気がつくと始めの買い物の話に戻っている

という、目まぐるしさがあるかもしれません。

 

しかし、その本質は

嬉しい話→嬉しかったけど悲しい話→悲しかったけど美味しい話→別の話…

というふうに、感情で追っていくと繋がっていたりします。(全部ではありませんが…)

 

パターンが無いように見える女子トークにも

実は構造的なものがありました。

 

 

終わりに…

難しいんですよ、女子トーク!笑

知れば知るほどASDが苦手な能力を使って会話してるんだなと感じます。

 

というわけで、次回は

ASD女性は共感される心地よさを知らない』

というテーマで書いていきます。

 

ASD女性はどのように定型女性に偽装しているのか

お久しぶりのブログです笑

前回からかなり時間が経ってて、びっくりしちゃいました😂

 

今回は

ASD女性が周りと合わせるためにどのような偽装を行っているか」

について書いていきたいと思います。

 

最近、ニュースで読んだのですが

ASD女性がASDだと診断されにくい理由の一つに

定型女性に偽装するのが上手だからという記事を読みました。

発達障害ゆえの不都合をカモフラージュする能力が高いからなのだそうです。

ASD女性は偽装能力が高いことが原因で精神的に疲れてしまい、2次障害でうつ病などを引き起こしてしまいます。

 

その記事を読んで、なぜ「精神的に疲れてしまうのか」ということをもう少し具体的に知ってもらいたいな、と思い今回の記事を書いてます。

また、どうしたら疲れなくなるかについても私なりのやり方ですが書いていけたらなと思います。

 

 

さて、女性脳は「共感」によって安らぎを得られる脳らしいのです。

というのは、まだ人類が狩猟生活をしてたような時代

男は危険な自然に出向き、獲物を狩る一方

女は村で男の帰りを待ちながら、子育てをするわけです。

そんな女達に必要だったのが「共感」でした。

まだ人工的にミルクが作れない時代です。おっぱいが出なくなったら、その時点で子育てはアウト。

女達は

「おっぱい出てる?大丈夫?」

「子供は元気?病気になってない?」

とお互いの情報を交換、共有しながら生活していました。

かくして、女性の脳は

●相手の体験を自分の体験として蓄積できる

●膨大な情報を感情と共に思い出し、初めてのトラブルにも間違いなく対処できる

という能力を獲得したのでした。

 

女子トークで必要な「共感」は

情報の交換とトラブルへの対処法という

相手に対しての贈り物だということを

ASD女性は理解することができないのです。

というのが本や資料に載っていました笑

 

さて、ここからが本題。

なぜASD女性は疲れてしまうのでしょうか。

理由は女子トークで行われる

「共感」というものの構造が理解できないためだと私は感じます。

 

 

構造が理解できないASD女性は言葉だけは「共感」を真似しようとします。

しかし、それを行うには物凄い負荷とダメージを精神に与えることになります。

(脳をフル回転させて考えないとできないからです。)

ASD女性にとって女子トークはお客様対応であり、接待とそう変わらない行為のように感じるのではないでしょうか。私はそう感じてました。

 

例えば、こんな会話があったとします。

 

A「この前、友達からピーラーをもらったんだけど、これがとても使いやすくて!」

B「そうなんだ!」

A「うん、すっごくお気に入り!早速料理するのに使ってみたよ!」

B「へぇ、それは良いいね!そういえばこの前、駅前に新しいパン屋さんが出来たの知ってる?メロンパンがもちもちでとっても美味しかった!」

A「そうなんだ!今度買ってみようかな!」

 

なぜ「ピーラーが使いやすい話」が「駅前のメロンパンが美味しい話」に繋がるのか。

そこのところがASD女性は理解できないのです。

だから、私のようなASDならこういう会話になると思います。

 

A「この前、友達からピーラーをもらったんだけど、これがとても使いやすくて!」

B「そうなんだ!」

A「うん、すっごくお気に入り!早速料理するのに使ってみたよ!」

B「へぇ、それはいいね!そういえばこの前、駅前の金物屋さんに行ってきたんだ。そこの金物屋さんに売ってるピーラーも切れ味抜群だったよ!さすが金物屋さんだね!」

A「え、あ…うん。すごいね。」

 

「ピーラーが使いやすい話」に対して「切れ味抜群のピーラーの話」は微妙な反応が返ってきます。

 

ASD女性はこの「微妙な反応」の経験を幾度となく体験します。

そのため自分から何かの話題を話し始めるときは、その話題がズレていないか何度も何度も考えながら話し始めます。

また、相手に話題を振られたときも、ズレた返事をしてないか慎重に考えながら話し、すぐに話題を投げ返して相手に喋ってもらうという流れに持っていきます。

 

本当は自分も喋りたいのに、それをグッと我慢して相手の話を聞き続けなければなりません。

ASDにとって、興味のない話を永遠と聞かされることほど苦痛なものはありません。

 

これが疲れてしまう理由です。

表面的には見えなくても、物凄いストレスをかかえることになりますね…

 

長くなってきたので、次回に回しましょう笑

次は「女子トークの構造」について書いていきたいと思います!

 

 

 

私の精神が回復するまでの軌道

最近、秋の空気に包まれて

紅葉が綺麗な時期になってきました。

お久しぶりのブログです笑

 

といっても、内容的には日常の小話ということで、ゆるっと書いていこうと思います。

 

ここ数日は本当に調子がいいので

過去を振り返ると、よくここまで精神的に回復したもんだなぁと思うのです。

参考になるかわかりませんが、私が回復するまでの道のりから何か伝えられるといいなぁ、と思います。

 

 

精神的にどん底  

一番底辺だった時期

事の始まりは2年前の2017年9月頃だったと思います。営業としてバリバリ成績を上げていた私は、とうとう会社内で1番大きな金額を扱う商材の補助役を担当することになりました。

何があったか具体的には明かせませんが、その商材を担当したことがキッカケで徐々に精神がすり減っていきました。

約2年後の2019年2月には頭のオカシイ私の出来上がりです。

家に帰るとベッドに転がってボーッとしていました。部屋がどんどん汚くなっていって、とうとう大好きな料理ができなくなりました。アニメを観たり、漫画を読んだり、音楽を聴くのが好きだったはずなのに何をしても苦痛で心が痛くなりました。癒されるどころかとても疲れるのです。

会社に出社する朝、目が覚めると全身が痺れて動けない。出社すると心臓がズキズキして息が出来なくなる。笑顔を振りまきながら、呼吸が浅くなり苦しくなる。

家に帰ると疲れ切って、ベッドに転がってボーッとしてしまう。ダラダラと動画を流しながら、起きた時に身体が痺れるのを恐れながら、浅い眠りをゆらゆらと漂う。

よくあんな状態で働いてたものだなと、今は思います。

 

 

地獄から抜け出した  その後

抜け出した過程は省略します笑

あまり気持ちのいい話ではないのと、明かせないことが多いので。

とにかく、最後の力を振り絞って会社を辞め、実家で静養することにしました。

そこから回復するのが本当に大変でした。

 

親からの慰めや心配の言葉は全て心に突き刺さる状態でした。

『どうせ私が全部悪かったんでしょう』

『そんなに責めなくてもいいじゃない』

『私なんて…私なんて…』

なーんて感じだった気がします。

部屋に引きこもると泣きたくないのに涙が次々と溢れて、みじめな気持ちになりました。

気晴らしにと外出しても、帰り道のバスの中で目をつぶると涙が溢れて止まらなくなったりしてました。

 

朝食や昼食などご飯を食べている時、両親が気を遣って話しかけてくれるのですが、話を聞いてるのはキツイし、自分が何か話すのも疲れていました。

「どうして黙ってるの?返事もできないの?」

「精神的におかしくなってるのよ。精神科に行ってきなさい」

「あんたは〇〇なところがあるから。今後は反省して、そういうことには関わらない方がいいわね」

「ちょっと待ちなさい!そうやってすぐフェードアウトしようとするんだから。まだ話は終わってないよ」

上記は覚えてるなかで凄く傷ついた言葉なんですけど、今なら心配してかけてくれる言葉だとわかります。

当時は針でズブズブ心を刺される思いでした。

 

その頃になって混乱した状態ながらも、何とか『大人の発達障害』について診断してくれる病院を見つけて、自力で病院に行きました。

 

 

病院を見つけようと思った理由

最初は母の助言通り、精神科を受診しました。

そこで診断されたのは『適応障害』でした。

ただ、違和感がありました。診断を受けてもモヤァとした感じで、元気になれる気がしなかったんです。

そこで、大学生くらいからアスペルガーっぽいと言われていたのを思い出しました。

働いているときもASD関連の記事を読んでいて、なんとなく当てはまるなとは思っていました。

しかし、社会生活を送れないほど支障はないし、生活もできていたので、診察してもらうほどではないと思っていました。

 

これは今だから思うのですが

日常、やりにくいことや違和感や大変なことを周りに訴えていました。

わかってもらえないことが多く

自分はどこかオカシイのかな?

気のせいなのかな?

実際辛いって感じてる気がするけど、何で?

私はワガママなのかな?

優しくない人間だからかな?

と思っていて落ち込みました。

 

そこで、一度専門家に診てもらい、ちゃんと診断してもらおうと決意しました。

医師の診断があれば、アスペルガーで苦しんでいたことが事実になるし、周りも理解してくれるはず。

今後の自分の指針を決めるのに役立つと思いました。

 

書いていて気づきました笑

この時点で、アスペルガーじゃないという診断が下る発想がなかったんですね。

 

もし、なんとなくASDっぽいかな?

日常、ちょっと違和感があるかも?

普通に生活してるけど、ちょっと辛いかも?

と思ったら

ここまで落ち込む前に早く病院で診断を受けた方がいいと思います。

元気なうちに診断してもらうと、アドバイスを受け入れる器が大きいので、すぐに変化することができます。

そうすると、自分も楽になるし、周りも楽になります。

 

 

ASDだとわかってから

まず、色々と苦しかった部分や無理してやっていた部分など違和感があったところがスッキリしました。

例えば、営業の仕事は人の顔色や空気を読まなければならないことが物凄くストレスだったことがわかりました。

また、両親から理解を得ることができたので

『辛い』『よくわからない』『疲れる』

というネガティブな言葉に怒られることがなくなりました。

周りの理解を得られたり、ツイッターを始めたことで、私と同じような人がいることを知り、とても救われました。

 

 

現在の私

というわけで、今はめっちゃ元気です笑

ASDのことをたくさん勉強して、解決できることが多くなりました。

一番嬉しかったのは『話し合い』と『相談』が出来るようになったことです。

相手の言っていることが理解できるようになり、自分の言いたいことも誤解なく伝えられるようになりました。これは、辛かったけど営業をやっていた技術がいい形で活かされたからだと思います。

人との会話も楽しくなりました。元々、人と話すのは好きだったので、表情や感情を理解できるようになってからはますます面白いです。

友達からは『人間になったね』と言われ、以前に比べて自分が発達したことを感じます。

周りに集まってくれる人が優しい人達ばかりになった気がします。自分の感じ方や考え方が大きく変わったからです。

いいこと尽くしですよ、現在の私。

 

 

最後に…

いかがだったでしょうか?

この記事は自分のために書きました。

過去の辛さを忘れないためでもあり

現在のこの調子のいい時を忘れないためです。

人生山あり谷ありですけど

楽しく生きていきたいですね!

 

今回はここまで

 

心の理論について

お久しぶりのブログです(笑)

どんだけ書くの怠ってたんじゃい、という感じです。

 

今回は、心の理論「誤信念課題」について書いていこうと思います。

 

先日の私のツイートですが

 これについて「うまく説明できない」部分を解説していきます。

 

 

目次 

 

 

 

サリーとアンの課題

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答えは『カゴ』ですが、ASDは『箱』と答えてしまいます。

この課題のことは「1次の誤信念課題」と呼ばれています。詳しくは後述しますが、この心の理論を指して、映画や小説、漫画を楽しめないんじゃないかと言われると思いました。

しかし、物語というのは第3者目線から見てわかりやすいように作られています。つまり、サリーとアンの課題もこんな感じになるわけです。

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このように描くと答えは『カゴ』とわかります。また、心の理論がわからなくてもストーリーを楽しめると思います。

 

 

誤信念課題

さて、「サリーとアンの課題」ですが、「ボールは本当にどこにありますか?」という質問や「ボールは、最初どこにありましたか?」という質問にはASDの子供全員が正解したということです。つまり、「自分はボールがどこにあるかわかっているが、サリーはボールがどこにあるかわかっていない」という、他人が自分と異なった考えを持っているという事実を、ASDの子供が理解していない可能性があります。

最近見かけたツイートで「自分はいいけど、他人はダメ」という考えになる理由がわからないというのを見かけました。この心の理論の弱さが関係しているのではないかと思います。

なお、ある程度年齢が高くなると「サリーとアンの課題」も解けるようになります。課題を通過できる言語性精神年齢が定型発達よりASDのほうが高年齢であることが明らかになっています。このため、ASDは言語性知能で「心の理論」課題を通過している可能性があります。さらに成長すると、より難しい誤信念課題もわかるようになりますが、実はそれは定型発達のように本能的に通過しているのではなく、言語性知能で考えている可能性があります。この場合、本能的にわかっているわけではないので、思考の負荷がかかっていることになります。

 

実は、私は未だによく考えなければ「サリーとアンの課題」を解くことができません。

言語性知能で考えているというなら、どのような思考回路なのか書いてみます。

①サリーは『カゴ』、アンは『箱』を持っている

②サリーは『カゴ』に『ボール』を入れた、アンと『空の箱』がある

③サリーが出かけていなくなる

④アンがボールを移動させる『空のカゴ』『ボール入りの箱』

⑤サリーが戻ってくる『空のカゴ』『ボール入りの箱』

サリーがボールを探すのはどこでしょう?

ボールの流れ:最初はカゴにあったが、箱に移動している

サリーの視点:カゴにボールを入れて、遊びに行っている。アンが箱にボールを移動させたことをサリーは知らない。

アンの視点:ボールをカゴから箱に移動させた。サリーに見られないように行っている。また、移動させたことをサリーに伝えたりしていない。

よって、サリーがボールを探すのはカゴである。

 

このように、方程式で考えていかないと「誤信念課題」を解くことができません。思考にはかなりの負荷がかかります。私が普段人と接するときは、この思考をかなり高速で行い、定型発達が本能的にわかるであろうスピードとほぼ同じ速度で答えを出しています。人と接していると疲れてくる理由はここにあります。

 

 

「心の理論」の弱さを支援する

まず「心の理論」の研究は、あくまで実験段階にすぎません。たとえ実験状況で「心の理論」を理解できたとしても、より複雑な日常の環境で、実験状況と同様に「心の理論」を理解できるとは限りません。このことを知った上で支援をしていくことが必要になってきます。

また、「心の理論」課題を通過したとしても、処理の仕方が定型発達とは異なっている可能性があります。別の認知処理を行っているということは、それだけ処理に精神的な負荷がかかっていることになります。

この負荷に配慮しながら、他者との相互理解の難しさに配慮しつつ「他者の視点取り」や「他者と自己の思考・感情・行動の関連の理解」を支援していくことが必要となります。

(『公認心理師のための「発達障害」講義』下山晴彦監修、桑原斉、田中康雄、稲田尚子、黒田美穂編著[講義]、宮川純編集協力[講義メモ&確認問題]、北大路書房より)

 

支援方法については、すごく難しいことが書いてあると思います。もちろん、参考にした書籍は『公認心理師』のためのものなので、専門分野の支援方法であります。とはいうものの、参考になる部分があるのではないかと思います。

他者との相互理解が難しということ。ASD本人がこれを自覚すること、また周りの人もこれを理解すること。

ASD本人が自覚することができれば、次の一歩が踏み出しやすいのではないかと思います。周りもどうしてできないのか理由がわかれば、人格や性格を疑わなければいけないモヤモヤが少し晴れるのではないかと思います。

 

 

 

最後に……

いかがだったでしょうか?

今回、サリーとアンの課題の絵を頑張って描きました(笑)

最近、4コマを描き始めたので、できるんじゃないかなーと思ったのですが…5コマはなかなか大変でした。

それから、小説、漫画、映画からは「心の理論」は学べないのかなというところですが、これはどちらでもあり、どちらでもないと思います。

確かに、現実で活かせる理論を学ぶのは経験が必要なので難しいと思います。しかし、小説、漫画、映画などのストーリーに触れることによってキャラクターの内面や心の声を知ることができます。沢山の内面の声をインプットすることによって、実際に人と接したときに理論の組み立ての幅が広がっているように思います。

活かしようは自分次第というところでしょうかね。

 

今回はここまで。

私の記憶の組み立て方

秋の季節を感じるこの頃

過ごしやすくなってきましたね。

 

今日は記憶の組み立て方ということで

私が「何か」を出来るようになったとき

その過程を段階的に思い出す方法を書いていきたいと思います。

 

 

映像記憶

そもそも、私の記憶というのはスナップ写真のように一瞬一瞬の映像を切り取った感じで残っています。

そのためエピソードやストーリーのように前後の繋がりがある、一連の流れを作ることが難しくなります。

 

例えば、この前ラーメン屋でご飯を食べたときのこと。

父、母、祖母、私でラーメン屋に行きました。

この時の記憶としては、私の左隣に祖母が座り、目の前に母、左前に父が座っている映像を思い出すことができます。

私は辛味噌、父と母は胡麻味噌、祖母は塩ラーメンを食べている映像が出てきます。

店員さんは男性が1人、女性が2人。カウンターには男性2人の組と女の子、そのお父さんの組で計4名が座っている映像が出てきます。

店内の映像が何枚か出てくるので、組み立てれば立体的に店内を説明することができるでしょう。

 

という感じで、4人でラーメンを食べた「映像」は出てきます。

 

しかし、そこで何を話したのか、どんな気持ちだったのか…などの目に見えない情報は思い出せません。

さらに、何故この4人でラーメンを食べに行くことになったのか。ラーメンを食べた後にどうしたのかが思い出せません。

 

このラーメン屋にご飯を食べに行ったのは計4回ほどです。

普段は母、祖母、私の3人で行くのですが、この1回は父がいるので4人でした。3人のときの映像と4人のときの映像がごっちゃになるのと、前後のエピソードが繋がらないのでこの4回を時系列順に並べることが難しくなります。

 

映像自体はかなり鮮明に覚えているのに内容がないので繋がりません。

 

 

映像記憶の弊害

昨日の朝に話した〇〇のことなんだけど…

というくらい直近のことなら話した内容を思い出すことができます。

しかし、それ以前の出来事と話が繋がっているという部分はなかなか理解できません。

 

例えば、朝に食べた食パンの話をしたとします。

目の前には母がいて、朝食には目玉焼きときゅうりとカリカリに焼けた美味しそうな食パンが出てきました。

 

その朝食のことを指して

母「昨日朝に食べた食パンなんだけど、紫根がこの前好きだって言ってた食パンだよ!美味しかったでしょ?」

 

ここで出てくる「この前」が私にはピンときません。

 

母「ほら、一週間前くらいに〇〇のお店に一緒に行ってきたでしょ?その時に買った食パンよ」

 

一週間前に行った〇〇のお店の「映像」が出てきます。しかし、そこで食パンが好きだとかそんな話をしたのかは思い出せません。

 

私「私、〇〇のお店の食パンが好きって言ってたかな?」

 母「2週間くらい前の朝食で〇〇のお店の食パンを食べた時に、美味しいって言ってたよ」

私「???」

 

エピソードで記憶が出来ないと、こんな感じで会話が噛み合わなくなります。

そこで、上記のエピソードを時系列順に並べ替えて理解を始めます。

 

2週間前の朝食

〇〇のお店の食パンを食べた私は「美味しい」と言った

→母の中では「美味しい=好き」という表現

1週間前

〇〇のお店に母と食パンを買いに行った

昨日の朝食

〇〇のお店の食パンを食べた

今日

母から昨日の朝食の食パンは美味しかったでしょ?

と聞かれる

 

こんな感じでエピソードを組み立てます。

そこで初めて

「2週間前に食べた美味しい食パンを昨日の朝食に出してくれて、その感想を聞いているんだ」

と理解します。

 

話し合いが出来ない理由の一つに、この映像記憶の影響があるのではないかと思います。

この組み立てを一瞬で行うには、日々の鍛錬が必要になってきてしまいます…

 

では、この組み立てを自分の過去に対して行います。

 

 

人と話すことが得意になるまで

文章もそうですが、私は説明がとても上手なのです。

自分で言うな(笑)

という話は置いておいて、対話が得意になるまでの組み立てをしていきます。

 

営業1年目(22歳)

お客さんと上手に喋れない自分。

商品の良さを伝える(発信)とニーズを聞き出す(受信)が上手く出来ていなかった。

営業2年目(23歳)

心理学や営業技術に関する本を読み漁る。

人の話を聞くには、相槌と言葉の裏を読み取る力が重要になってくると気付く。

営業3年目(24歳)

お客さんの何気ない会話の中で「困ってる」と口に出して言わなかったが、そんな雰囲気が伝わってきた。

試しに「〇〇について困ってますか?私なら解決できますよ」と言ってみたところ、お客さんに喜んでもらえた。

言葉の裏を読み取れた!日々楽しくお客さんと話してたおかげだ!

営業4年目(25歳)

業績が伸びて、持っていた数字も上がった。

日々人と楽しく対話することは、業績以外にも自分のプラスになることを実感する。

 

大雑把にまとめてしまいますが

上手に喋れなかった自分→本を読んで勉強→実践と経験を繰り返す→人と楽しく喋れるようになる→いいことばかり!

 

という出来事があり

人とは楽しく会話するほうが良いことが多いことを実感しているため、それが私の「こだわり」になった。

ということを発見することができました。

 

自分の過去を使ってエピソードを組み立てる練習。

してみて損はないと思います。

 

 

最後に…

いかがだったでしょうか?

頭の中をこじ開けて色々思い出し、組み立てをすることは大変ですが自分にプラスのことばかりだと思います。

紙に書き出して考えてみると、さらに効果が高まる気がします。

不便さを感じることは多いですが、自分が発達しているのを実感することができるのはとても楽しいです。

今回はここまで。

夢の中で出会った以前の私

 

私は眠りがとても浅いので、毎晩様々な夢を見ます。

内容を覚えていることが多いので、起きてから一瞬、現実と夢の区別がつかないほどです。

 

最近、過去の自分を振り返ることがあるのですが、当時のことを客観的に思い返すことはできても、どんな気持ちだったのかまでは思い出せません。

 

今日は夢の中で、ASD全開だった頃の気持ちを味わうことになりました。

面白かったので、そのことを書いていこうと思います。

 

〜夢の中の話〜

私は大学生。

単位や就活の悩みが常に心の中を占めていた。しかし、最近は両親のことが嫌いで仕方がない。そのことが頭を悩ませる一番の要因だった。

自室のベッドに横になり、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、とやることを考えていると

「おやすみ」

ドアの向こうから母の声が聞こえた。

おやすみ、と言おうと口を開きかけると

「遅くまで起きてないでさっさと寝なさいよ」

続けて母が言った。

寝室のドアが閉まって、母が寝てしまったのを感じる。

私は腹が立った。

最近「キチンと挨拶をしなさい!」と怒られることが多かったのだ。

バイト先や企業の訪問に行った際にはしっかりと「お疲れ様です」「おはようございます」「お先に失礼します」と挨拶をしていた。

だから、何故家に帰ってまで家族に「おはよう」や「おやすみ」を言わなければならないのか不思議で仕方がなかった。

私は「おやすみ」を言おうとしたのに、それを遮られた。さらには私のことを無視して寝室に行ってしまった。

「おやすみ」を言うことが私にとって、どれだけ大変なことか知らないくせに。

 

〜場面変わって朝になる〜

起きた私は顔を洗うために洗面所に向かう。

「おはよう」

母の声が聞こえた。

昨夜は無視したくせにという思いが強く、私は無言を決め込んでいた。

そもそも最近は「こういうことされたら嫌でしょ?だからあんたもそういう行動はやめなさいよ」という理由で意地悪をされる。

その仕返しだ、と思い

「なんで無視するの!?朝はおはようでしょ!」

と喚き続ける母を無視する。

そっちだって嫌なことをされたら怒るくせに。なんで私には嫌なことを仕掛けて、正当化しようとするんだよ。

ムカムカとした思いを抱きながら、私は家を出た。

 

〜夢の中の回想終わり〜

 

 

目が覚めまして、ビックリしました。

あちゃー💦って感じですね笑

夢の中では「大学生の自分」になりきっていたので、違和感はなかったのですが…

当時はこんな感じの心境だったなと思い出しました。

 

母はドアの向こうの私に「おやすみ」と声をかけました。私が「おやすみ」と言おうとして口を開きかけたなんて見えないですよね。

決して無視をしたわけではないのですが、私は私の目線しかなかったのでそれに気がつくことができなかったんです。

それに「遅くまで起きてないでさっさと寝なさいよ」を私は『命令』と取っていました。今ではわかります。これは『心配』ですね。

だから「(早く寝るかはともかく)ありがとう、おやすみ」と伝えれば良かったんだなと思います。

外では挨拶をしているのに、家ではしない。

これはASDには外モードと内モードがあって、外モードのときはかなり気を遣って話しているので疲れます。それなのに、家に帰っても内モードになることすら許されないのかと腹を立ててしまったんですね。

家族なのですから「おはよう」「おやすみ」を介してコミュニケーションを取った方がいいですよね。外モードというレベルまで自分を引き上げて気を遣う必要はないのですが…程度の調整は今でも難しいところです。

それから「こういうことされたら嫌でしょ?だからあんたもそういう行動はやめなさいよ」というところを、私は悪意のある『意地悪』と捉えていました。

今なら「行動を改めた方がいいよ」という『アドバイス』と受け取ることができます。

 

こう考えると思うところがあります。

当時の自分は本当に悩ましいことが多く、苦しんでいたのですが…外からの受け取り方が悪くて傷ついていたんだなと思います。

 

大学生の私。大丈夫だよ。今では人の気持ちも察することができるし、あなたがなりたかった話上手で聞き上手な自分になれる。これから先、もっともっと大変なことが起こるけど、それさえも乗り越えていけるから大丈夫。心配しないで、そのまま進んでいくといいさ。

 

と、夢の中に置いてきた大学生の自分に語りかけずにはいられませんでした。

 

日常の小話、今回はここまでです。