ASDで良かったと思うこと

何を書こうか迷っていたのですが

こういうタイトルの話はあまり見たことがないので、ちょっと書いてみようかなと思います。

 

 

私の発達障害は『ASD』のみで

いわゆる『グレーゾーン』に位置する人間です。

普通に社会生活を送ることができます。

自分で稼ぐことができ、無事に一人暮らしを送ることができるのです。

 

しかし、発達障害にあることには変わりありません。

長年、生きづらさを抱えて葛藤しました。

漠然とした『辛い』という気持ちを伝えても、受け入れてもらえず

『頑張れ』『お前ならできる』と両親に言われ、傷つきながら育ちました。

 

とても育てづらい子供でした。

両親はとても立派な人達です。

毒親でなく、子供のことを考え、生きていくために必要なことをキチンと教えてくれるような人達です。

 

そんな人達のもとで育っても、私の自己肯定感はとても低かったのです。

 

両親の育て方が悪かったわけではないのです。

私の受け取り方が独特だったのでしょう。

 

傷つきながら育ったとは思いますが、葛藤して、考えて、病院に行って、自分を受け入れて…

そういう沢山の壁を乗り越えて、私は両親の愛情を知ることができました。

それがとても嬉しいです。

 

何が言いたいかというとですね…

私は子供を育てたことがないので

ASDの視点を持った子供の意見として

こういうことが言いたいのです。

 

『愛情をかけ続ければ必ずそれに気づく時がきます』

 

さて、前置きがかなり長かなりましたが

私がASDで良かったなと思うことを書いていきます。

 

 

圧倒的優位な『視覚記憶』という才能

 

私の記憶は写真のように鮮明に残ります。

調子が良い時には、頭に残った映像を読むことができるくらいです。

例えば、バスで通り過ぎた景色。

一瞬で通り過ぎた看板などの映像記憶を思い出し、後からその文字を読むことができたりします。

 

また、絵を描こうと思ったとき。

残念ながら、私は絵の勉強をあまりしなかったので自分の頭の中の映像をアウトプットする能力がありません。

しかし、絵の書き方やアウトプットの仕方を学べば一瞬見た映像を鮮明に描き出すことができるということが感覚的にわかります笑

 

 

構造とルールを理解する能力

 

パターンを見つけるのがもの凄く得意です。

なので、マニュアル作りをさせると誰もがわかりやすい説明書きを作れると思います。

また、人にものを教えるのが得意だと思います。(私だけかしら?笑)

要はルールを見出すのが得意なので、何かを説明させようとしたときに内容が整頓されているので、わかりやすいみたいです。

論文を書いたり、図で説明して欲しいなどの資料作りが得意です。

 

 

高い知能と能力

 

基本的に頭の回転は早い方です。

ベクトルは一定方向かもしれませんが笑

得意なことに関しては1を説明すれば8ほど理解できるでしょう(感情は、無理!笑)

 

また、高い知識欲を持っているので

興味のあることに関しては深い教養を得ることができます。

 

私は何かに対して、知識欲を一点集中させることはありません。

なので『何を詳しく知っているの?』と聞かれても、ちょっとわかりません笑

 

そういうASDもいます(^ω^)

 

とはいうものの、出来ることは多いです。

音楽は作れるし、絵も(頑張れば)描けます。

映像を作ることやアクセサリーを作ることもできます。

要は、熱量が傾いたとき

普通の人が努力してやっと出来ることが意図も簡単にできてしまうことがあるのです。

 

その熱量と努力が合わさったときに高い才能に繋がります。

 

自分で言うのは恥ずかしいのですが…

小さな天才なのです。

 

 

 

いかがでしょうか?

頑張って努力しても出来ないことがある反面

努力しなくても簡単に出来てしまうことがあります。

それが発達障害という凹凸の才能を持った人間だと、私は思います。