この世は全て自分自身の心の鏡

色々迷ったのですが、日常の小話ということで書いていきたいと思います。

私が人と話すことが得意になった理由、『理解』と『納得』の違いについて書いていきます。

 

以前はよく「お世辞とか言えないから」と言って、空気を壊していたように思います。お世辞を言うことは『嘘』を言う、悪い感じがしてとても嫌だったんです。

それに、自分にフィルターをかけて人と話すことがとても嫌でした。

目線、態度、仕草、話し方、聞き方、思考、表情、対応……etc.

親に対する態度、会社の上司に対する態度、後輩に対する態度、友達に対する態度、お客様に対する態度など。全ての環境や場所において、『本来の自分』を偽って人と関わるということがとても嫌でした。

 

とても疲れるし、どうしてこんなに周りに気を遣わなければならないのだろうと、納得していませんでした。

 

ここで『本来の自分』というものがどんなものか説明します。

目線を合わせない。相槌は打たない。表情が動かない。興味のない話は聞かない。自分の話したいことは永遠話す。気が済んだら人とはさよなら。一人になれる時間がないと気が狂う。「私の世界」という妄想の世界に引きこもる。

『そのままの自分』で人と暮らしてもいいのよ、と言われたら間違いなくこんな感じになると思います。

とてもではありませんが、一緒にいたい人間ではありませんね。

 

ある日、『フィルター(層)じゃなくて、ツール(道具)』と考えると面白いのではないかと思いました。

偽りの仮面をかぶって世の中に接するのは『嘘』をつくことと同じで罪悪感があります。

しかし、人と楽しく話すためにツール(道具)として利用するのはどうだろうかと考えました。自分を強化し、レベルアップすると面白いなと思ったんです。RPGゲームと同じ原理だと理解しました。素材を集め、武器・防具を作成し、装備することによって、強い敵を倒すことができるシステムなのだなと思ったんです。

そう考え付いてから、『お世辞』だって立派なツールです。絶妙なタイミングで、効果的なお世辞を発動させることによって、相手を喜ばせることができました。

目線、態度、仕草、話し方、聞き方、思考、表情、対応……etc.

その全てが、人とスムーズに話をするために必要なツール(道具)であり、レベルアップや強化・合成が可能だと気が付きました。

 

次に先ほどから使っている『納得』と『理解』の違いについて考えたいと思います。

「頭では理解しているけど、納得できない」というのはよく聞きますね。

簡単に説明すると

理解する=頭でわかる=外的

納得する=心でわかる=内的

ということでどうだろうと思っています。

 

世の中には納得できなくても、やらなければならないことがある。心からやりたいと思わない(内的欲求不能)からやりたくない、ということなのでしょう。

 

私は、自分にフィルターをかけて人と話すことはやりたくないです。しかし、ツール(道具)として使って、人と話すことはゲームのようで楽しいです。

表からみると同じ事をしているようでも、『納得』しているだけで、能力の上達具合がかなり違ってきます。

 

これは使えるな、と思い、ますます技術を磨きました。

今ではかなり空気が読める方ですし、適切な目配りと返答を返すことが可能です。

さらに不思議なことがあります。フィルターを使って人と話していた時と比べて、ツール(道具)を使って人と話すほうが、相手から返ってくる反応が明るいのです。

 

心から相手を楽しませるために、という目には見えない”何か”が、不思議と伝わるのかもしれませんね。

 

この世は全て自分自身の心の鏡

 

世の中と渡りあっていくためには、自分で自分を納得させ、より良い方向に導いていく必要があるのではないかと思います。また、鏡と一緒で外に発した反応は、そのまま自分に返ってくると思うのです。

 

 

 

今回は、ここまで。