理解して欲しい心理について
最近、頭のエンジンをずっと回しっぱなしで、いろいろな考えが目まぐるしく流れています。
そんな時は、ボーッと空を眺めて癒されるのですが…
今日はあいにくの曇りで、灰色の空が真っ平らに広がるばかりでした…残念…
今回の記事は、あくまで私の心の中というか…『個人的な見解』です。
考察しているわけでも、解説しているわけでもないので、悪しからず。
こういうことを考えることになったきっかけは「理解して欲しい」ってどういう気持ちの時に使うのかなと思ったところから始まります。
私が母に対して、散々言ってきた言葉
「理解して欲しい」
過去を振り返って、どういう意味合いがあったかなと考えてみると
「理解して欲しい=助けて欲しい」
こういう意味合いが近いように思います。
もちろん、これ以外にも色々な感情が含まれているかもしれませんが…
もう少し噛み砕くと
「ASDの特性を理解して、助けて欲しい」
ということだったなと思います。
「理解して」と相手に言うのはどんな時?
女性目線で言うなら…多分ですけど
「こんなに辛い思いをしているんだから、私を慰めて欲しい」
「こんなに頑張ってるんだから、私の頑張りを認めて欲しい」
「こんなに悔しいのだから、私の気持ちを受け止めて欲しい」
と言うような共感を誘う「理解して欲しい」なのかなと思ってます。
男性目線で言うなら…これも憶測ですけど
「こんなに辛い思いをしている、俺のサポートをして欲しい」
「こんなに頑張ってるんだから、俺の頑張りを認めて欲しい」
「こんなに悔しい気持ちだから、俺を応援してほしい」
というような承認欲求を叶える「理解して欲しい」なのかなと思ってます。
勝手な偏見ではありますけど。
上の「理解して欲しい」は私にはどれも当てはまらないんです。
そもそも、共感機能がほとんどないので女性目線は当てはまらない。承認欲求は似ていますが、自分の気持ちを認識できないので「辛い、頑張った、悔しい」からという理由がない。
なぜ女性目線、男性目線に分けたかというと、女性ASDにありがちなのですが、女性の思考回路が理解しにくいからです。
この前「定年夫婦の取説」という本を読んだのですが、「妻」の気持ちの方は私には全くわからなかったです。
「旦那」の気持ちの方は凄く共感できました。
ただ、行動特性は女性なんですよ。
例えば、女性脳は半径3メートル以内の手近にあるものの範囲を把握しやすいのに対して
男性脳は半径3メートルより外側の動くものや状況を把握するのに長けているところがあります。
私も物探しとかはできるし、半径3メートル以内の把握なんかは当てはまりますね。
だから、母と話してると差が出てきてしまうのです。
女性の行動特性の部分は私も共通して持っているので、母がやって欲しい行動ができるわけです。
ただ、ASDの特性があって出来ないこと(共感したり、他愛ない会話)は出来ないんです。
よく言われたのは
「どうして〇〇はできるのに□□はできないの!?」
ということでした。
□□はASDの特性があって、こういう理由で出来ないんだよって説明しても、理解してもらえなかったです。
お医者さんに母と一緒に説明を聞きに行って、やっとASDの特性を理解してもらえるようになりました。助けてくれるようになりました。
また、□□のASDの特性があって上手く出来ないんだと伝えても怒られることがなくなりました。「どうしてできないの?」の部分が解決されたんでしょうね。今では出来ないことの解決策を一緒に考えてくれますし、とても助かります。
周りを巻き込んで「助けて!」って言うのは、勇気がいることですけど大切ですよね。
というわけで、日常の小話でした。
昨日の常識は今日の非常識
ホーキング博士の「疑う力」です。
めっちゃ名言じゃないですか?(興奮)
当たり前のことは当たり前じゃない。
目に見えることだけが存在するものじゃない。
響きますねぇ〜笑
というわけで今回は
「他人の思考を自分の中に形作る方法」ということで書いていきましょうか。
『言葉や行動の裏の意味や真意をどのようにしてわかるようになったか?』という質問を受けたので、これに真面目に答えてみます。長文です。
— OKAMATI@アスペ主婦ブログ (@OKAMATI1) August 22, 2019
まず、そもそもの前提として定型発達もわかっていないという事実を理解してください。これは、定型発達の人達でも言い合いになる事で証明できます。 https://t.co/KbMkYMLaGP
このツイート、凄くわかりやすいです。
自分の感情を分析することで、他人の感情もわかるようになる。ということですね。
私はノートに書き出して考えるということが苦手なので、頭の中で同じことを行なっていたと思います。
というわけで、具体的にどういうことなのか組み立ててみましょう。
目次
【外側】負の視点から考える
わかりやすいので「ありがとう」で考えてみましょうか(笑)
感情のカテゴリーは「感謝」です。
まずは「ありがとう」を言って欲しかったのに、「ありがとう」と言ってもらえなかった具体的なエピソードを思い出します。
「ありがとう」を言ってもらえなかったエピソード
地下歩道を歩いていると、目の前の女性が定期券入れを落とした。慌てて拾い上げ「すみません、落としましたよ」と言って渡した。振り返った女性は怪訝な顔をして、何も言わず定期券入れを受け取るとスタスタと歩いて行ってしまった。
次に「ありがとう」を言ってもらえなくて心の中で何を考えたのか思い出します。
「ありがとう」を言ってもらえなかった時の心の中
慌てて拾い上げて、わざわざ定期入れを渡したのに失礼だな。悪いことをしたわけじゃないのに、そんな嫌そうな顔で見なくてもいいじゃないか。こんなことなら、定期入れなんか拾わないで放っておけばよかった。
さらに、心の中の声を細かく分けて、感情の名前を付けていきます。
細分化と名付け
失礼だな→「怒り」→「傷つき」
※怒りの感情は二次感情なので、何故怒りを感じたのかさらに考える
嫌そうな顔→「怖い」
放っておく→「後悔」→「悲しみ+嫌悪」
最後に「ありがとう」を言ってもらえなかったとき、私はどんな気持ちになったのか、まとめてみる。
どんな気持ちになったか
「ありがとう」を言ってもらいたかったのに、言ってもらえなかった。私は「傷ついて」「怖くて」自分のやった行為を「後悔」した。
【外側】正の視点から考える
次は視点を切り替えてみましょう。
「ありがとう」を言ってもらうつもりはなかったのに、「ありがとう」と言ってもらえた具体的なエピソードを思い出します。
「ありがとう」を言ってもらえたエピソード
外出中の母から洗濯物をしておいてと頼まれた。洗濯物をネットに入れ、お風呂からお湯取りをして、乾いた洗濯物を畳んでタンスに入れた。洗濯が終わった音がしたので、濡れた洗濯物を干していった。帰ってきた母から「ありがとう」と言われた。
「ありがとう」を言ってもらった時の心の中
わざわざ「ありがとう」って言う必要ないのに。だって、母さんは外出していて忙しかったんだもの。家にいる私が洗濯をするのは当然のことでしょ。でも、母さん喜んでるみたいだし、頑張って洗濯して良かったな。
細分化と名付け
必要ないのに→「困惑」
当然のこと→「責任」
良かった→「嬉しい」
どんな気持ちになったか
「ありがとう」を言ってもらうつもりはなかったけど、言ってもらえた。最初は「責任」があったから「困惑」したけど「嬉し」かった。
【内側】負の視点を考える
さらに視点を内側に切り替えてみましょう。
「ありがとう」を言うつもりはなかったのに、「ありがとう」と言わされた具体的なエピソードを思い出す。
「ありがとう」を言わされたエピソード
小学校2年生のとき、母とおばあちゃんの家に行った。お菓子を出してくれたけど、私は別にあるもう一つのお菓子が欲しかった。「お菓子もらったらどうするの?ありがとうでしょ?」欲しくない方のお菓子をもらったのに、お礼を言うのは嫌だった。お母さんの眉間にしわが寄ってる。怒る前の顔だ。仕方なく「ありがとう」と言った。
「ありがとう」を言わされた時の心の中
なんで「ありがとう」なんて言わなきゃいけないの?私はもう一つのお菓子が欲しかったのに。でも、お礼を言わなかったらお母さんに怒られる。怒られるのは嫌だな。
細分化と名付け
いけないの?→「怒り」→「傷つき」
欲しかった→「悲しみ」
怒られる→「恐怖」
どんな気持ちになったか
「ありがとう」を言う気はなかったのに、言わされた。私は「恐怖」で自分の行動を制限されたようで「傷ついて」「悲しくなった」
【内側】正の視点を考える
内側の視点を切り替えてみます。
「ありがとう」を伝えるために、「ありがとう」と言った具体的なエピソードを思い出す。
「ありがとう」を言った具体的なエピソード
私はお菓子の袋を上手に開けることができない。食べたいのに開けられないでいると、母が「開けようか?」と言ってくれた。お菓子の袋を開けてくれた母は、食器棚から皿を出した。食べやすいようにお菓子を皿に出してくれた。私は「ありがとう」と言った。
「ありがとう」と言った時の心の中
お菓子の袋を開けられなくて困っていたから助かった。わざわざ皿にお菓子を出してくれるなんて。私が袋からお菓子を出して食べるのが苦手だってわかってくれてるんだな。さすが母さん。
細分化と名付け
助かった→「安心」
~なんて→「嬉しい」
わかってくれてる→「幸福」
どんな気持ちになったか
私は「安心」と「幸福」で「嬉しく」なったので、「ありがとう」と言った。
全ての視点と応用を考える
やっとここまできましたね(笑)
視点を【外側】⇔【内側】、正⇔負と多角的に分析しました。
ここまで来て初めて、他人の感情を考えることができると思います。
少し並べ変えて、さらに感情をまとめてみます。
【外側】負の視点:「ありがとう」を言われなかった
「傷つき」「怖い」「後悔」→『悲しい』
【内側】負の視点:「ありがとう」と言わされた
「恐怖」「傷つき」「悲しみ」→『落胆』
【外側】正の視点:「ありがとう」を言われた
「責任」「困惑」「嬉しい」→『受け入れ』
【内側】正の視点:「ありがとう」と言った
「安心」「幸福」「嬉しい」→『感謝』
では、他人の思考(相手)を織り交ぜつつ、自分の中に形作ってみましょう。
「ありがとう」を言われなかった相手は『悲しい』と思っているかもしれない。自分は思ってもいないのに「ありがとう」と言うのは『落胆』した気持ちになるけど、「ありがとう」と言うことは『受け入れて』もらえる。それならば、『感謝』の気持ちを伝えよう。
さらに踏み込んで、私はあるエピソードを思い出し『落胆』した感情を変換する。
小学校2年生のとき、とても仲の悪い男の子がいた。毎日喧嘩ばかりしていた。ある日、男の子の机から消しゴムが落ちて、私の足元に転がってきた。仕方なく拾って渡してあげるとふてくされた顔で「ありがとう」と言ってきた。仲が悪く、気にくわない相手がお礼を言ってくるとは思わなかった。私にお礼を言うのは嫌だっただろうに。それでも「ありがとう」と言われて、私は『嬉しく』なった。
ここまで出すことができれば完璧です!
「ありがとう」は周りも自分も『嬉しく』させることができる言語に変換されました。
例え話が苦手なASDですが、自分の中にある具体的なエピソードに沿って感情を考えることができると思います。論理的な思考ができる分、パターンをインプットすることができれば、それだけ沢山の感情を知ることができるのではないでしょうか。
最後に……
なんだか長くなってしまいました。
私は営業をやっていたのと、母と弟が定型なので、感情に関しては色々教えてもらいました。なので、膨大なパターンがインプットされています(笑)
今回大切だなと思っているのは、具体的なエピソードを自分の中から引き出して考えるということです。そうすることで、自分の気持ちに気が付けるだけではなく、相手の気持ちを理解する一歩にもなるんじゃないでしょうか。
組み立てて説明したので難しく感じるかもしれませんが、実際はもっと簡単に頭の中で手早くできる(と、思います汗)
相手の気持ちになって考える。というのはこういうことなんじゃないかと思うんです。
形のない気持ちを想像するのではなく、自分の中で形のあるものを引き出し、それに沿って考えてみる。
もちろん、ASDだけでなく定型の皆様にも試してみて欲しいです。思ってもみなかった自分の感情に気が付くことができるかもしれません。
もし、パートナーがいらっしゃる方なら、お互いにこういう視点で物事を考えていくとすり合わせがしやすくなるかもしれませんね。(もちろん、大変な労力がかかりますが)
いかがだったでしょうか?
とりあえず、今回はここまでです。
たくさんの世界を持つ
日常の小話、ということで書いていきます。
私は落ち込んだら気持ちをズルズル引きずって、そのまま抜け出せなくなることがとても多いです。さらに辛かった時の光景が連続でフラッシュバックして、どうにも動けなくなることがあります。
そんな時にはどうしたらいいか考えてみました。
それは「他の世界」に移動することです。自分の世界を一つにまとめてしまうと、全てをそこで感じてしまって心が苦しくなってしまいます。
今から私の色々な世界を書いていこうと思います。
本当に落ち込んだ時はこれを思い出して、自己回復していこうと思います。
読書、ふて寝、昼寝、散歩、アニメ見る、漫画読む、小説書く、ブログ書く、絵を描く、塗り絵する、折り紙する、ゲームする、動画見る、作曲する、ピアノ弾く、ベース弾く、耳コピする、爪を整える、人と話す、自然を見る、空を見る、ショッピングする、クレーンゲームする、お酒飲む、美味しいものを食べる、料理する、お菓子作る、魚捌く、掃除する、テレビ見る……
とりあえず、計30個思いつきました。
本当は100個くらいあるといいらしいのですけど、そこまでは出てきません(笑)
そして「他の世界」に移動したら、それ以外のことを忘れて全力でその世界を楽しむこと。それが大切な気がします。
たくさんの世界があると気分が落ちた時、そこから回復しやすいかもしれませんね。
悪いのは、落ち込んだことを何度も思い返して負のループにハマってしまうことです。それは何とか避けたいところです。
いかがだったでしょうか。
色々な理論はあるんですけど、そういうことは省いてシンプルに。
良かったら皆さんも自分の色々な世界を探してみてください。
ASD言語→ASD 補足
自分の記事を読み直してて
あれぇ!?と思っていた部分があるので「補足」します(笑)
私が行っている「翻訳」についての記事でASDに対する気遣いというものを書きました。
・否定の言葉を使わない
・抽象的な表現を避ける(具体的に表現する)
・理論的に説明する
・誤解させない
・強制しない
ここでもう一つの記事ASD 心の暗い部分を晒しますで書いたことを比較してみようと思います。
《定型言語》
気持ちは口に出して言わないと相手に伝わりません。
また、思っていなくても相手が「ありがとう、ごめんなさい」という言葉をかけてもらうことで救われることがあります。
相手の気持ちに寄り添って「ありがとう、ごめんなさい」を伝えると良いと思います。
《ASD言語》
ASD言語の皆様へ どうして「ありがとう」と言うか
この例題には3人の登場人物がいます。自分、アドバイスをしてくれた人、ありがとうと伝える相手。思ってもいないのに「ありがとう」というのは不誠実に感じるかもしれません。とは言うものの、アドバイスをしてくれた人も、ありがとうと伝える相手も、あなたが嘘をついて「ありがとう」と言ったからって「不誠実な人」とは思いません。なぜなら心の中身は自分にしか見えないからです。「不誠実な人」と思われる理由はもっと別なところにあります。気持ちの説明をすると、アドバイスをしてくれた人は「どうしてありがとうって言ってくれないんだろう悲しいな」ありがとうを伝える相手は「感謝されるようなことをしたのに寂しいな」と思っているかもしれません。ならば2人の気持ちに寄り添って「ありがとう」と言ってあげましょう。優しい嘘は人を喜ばせることができますよ。
あれぇ!?と思いませんか?
私は思いました(笑)
ASDに厳禁の否定と感情に語り掛ける同じ言葉が使われているじゃないかと。
で、考えてみたんですけど、引っかかる言葉と意味の捉え方が全然違うんじゃないかなと思うんです。
まず、引っかかる言葉から抜き出してみます。
ASD目線
《定型言語》
気持ちは口に出して言わないと相手に伝わりません。
また、(自分が)思っていなくても相手が「ありがとう、ごめんなさい」という言葉をかけてもらうことで救われることがあります。
相手の気持ちに寄り添って「ありがとう、ごめんなさい」を伝えると良いと思います。
《ASD言語》
ASD言語の皆様へ どうして「ありがとう」と言うか
この例題には3人の登場人物がいます。自分、アドバイスをしてくれた人、ありがとうと伝える相手。思ってもいないのに「ありがとう」というのは不誠実に感じるかもしれません。とは言うものの、アドバイスをしてくれた人も、ありがとうと伝える相手も、あなたが嘘をついて「ありがとう」と言ったからって「不誠実な人」とは思いません。なぜなら心の中身は自分にしか見えないからです。「不誠実な人」と思われる理由はもっと別なところにあります。気持ちの説明をすると、アドバイスをしてくれた人は「どうしてありがとうって言ってくれないんだろう悲しいな」ありがとうを伝える相手は「感謝されるようなことをしたのに寂しいな」と思っているかもしれません。ならば2人の気持ちに寄り添って「ありがとう」と言ってあげましょう。優しい嘘は人を喜ばせることができますよ。
そもそも伝えたいことが全然違うのもあります。
定型言語は「ありがとう、ごめんなさい」を言うことで「どうなるか」という説明で
ASD言語は「ありがとう」を言うときに「嘘をつく理由」を説明しています。
そして、「気持ちに寄り添って」のところですが
定型言語が相手という不特定多数の人に対して「気持ちに寄り添って」と使っているのに対して
ASD言語では2人というこの例題の「アドバイスをしてくれた人」と「ありがとうと伝える相手」という登場人物に対して使っています。
そうなると意味が全然違ってくるんです。
「(あなたが)相手の気持ちに寄り添って」だと感情に対する語り掛けだし
「2人の気持ちに寄り添って」は状況説明です。
難しいですよね。
自分で書いてても「???」と思っていたのですが(笑)
定型とASDで言語が違うので、同じ語り掛けをしても共感できる部分が違うのだなと感じました。
私が行っている「翻訳」について
最近「ASDバイリンガル」と定型・ASDの両側からお褒めの言葉をいただきました。とても嬉しく思います。
さて、前回は「言語」と「翻訳」について書きました。
まだ読んでいない方は「言語」と「翻訳」の記事を読んでいただけると、今回の内容が分かりやすいのではないかと思います。
そこで、私が行っている「翻訳」がどういうものか。体感していただけたらと思い、今回の記事を書き始めています。
ある質問をします。
質問の回答はともかく、こういう質問をされたらどういう印象を抱くか考えてみてください。
《ASD言語》
「ありがとう、ごめんなさい」
なぜ思ってもいないのに、こういう言葉を使って感謝や謝罪をしなければならないのでしょうか?
相手に対して本当はそういう風に思っていないのに「ありがとう、ごめんなさい」を言うことは相手に嘘をついているということになります。
「ありがとう、ごめんなさい」を嘘をついてまで相手に伝えなければならない理由を教えてください。
こういう感じで質問されたらどうでしょう。
正直な気持ちとして「質問の意味がわからん」「答えるのは面倒くさい」というのが印象なのかなと思います。
そこで、この質問をASD言語→定型言語に「翻訳」してみます。
《定型言語》
「ありがとう、ごめんなさい」は
私にとって、とても大切な言葉です。
本当は「ありがとう、ごめんなさい」と思っていないのに、この言葉を言うことは相手に対して嘘をついているようで辛い気持ちになってしまいます。
どうしたら「ありがとう、ごめんなさい」をうまく相手に伝えることができますか?
こういう風に質問されたら意味もわかるし答えてあげたいな、と思いませんか?
どちらも同じ意味の質問をしているのに、全く印象が違いますね。
《ASD言語→定型言語》
変換のポイント
3つほどあると思います。
1.感情の流れ
「こういう言葉」→「嘘」→「理由」の部分を
「大切」→「辛い」→「どうしたらできる?」
という感じで、理論的から感情的に変換しています。
2.どうしたら〇〇できますか?
「どうにかしたい」という気持ちと
「意見・助言」が欲しいという気持ちを汲み取ることができますね。
ASDが苦手とする言葉の裏の意味ですが…
実は、ASD言語では「なぜ、理由、教えて」と見える形で書いてあります。
3.疑問形「?」で柔らかくする
・教えてください。
・〜できますか?
どちらも文章全体を通して見てみると「質問」の意味として使われています。
上の方が圧力を感じますよね。ASDに悪気はないのですが、この圧力に拒否反応を起こしてしまう定型の人が多いので、柔らかく変換しています。
《定型言語→ASD言語》に
変換してみる
ちなみに、この質問に対して定型の皆様はどういう風に答えますか?
定型の師匠である母が今日は不在のため
私の勝手な推論と組み立てになってしまいますが笑
多分、こんな感じで回答されると思います。
《定型言語》
気持ちは口に出して言わないと相手に伝わりません。
また、思っていなくても相手が「ありがとう、ごめんなさい」という言葉をかけてもらうことで救われることがあります。
相手の気持ちに寄り添って「ありがとう、ごめんなさい」を伝えると良いと思います。
至極まっとうな答えですが、ASDには伝わり辛い上に傷ついてしまいます。
私だったらこう答えるという回答はありますが、まずはASDに伝える為のポイントを説明させてください。
《定型言語→ASD言語》
変換のポイント
こちらも3つポイントがあります。
1.否定の言葉を使わない
どこにそんな言葉があるの!?
と思われるかもしれませんが、頭から否定しにかかっています。(そのように聞こえます)
「言わない」と「伝わりません」の部分と
「思っていなくても」の部分ですね。
なので、ここは肯定に変換して
「気持ちは口に出して相手に言うと伝わりやすいですよ」
とする方がいいのと
「思っていなくても」の部分は文章から削ってしまいましょう。
2.感情を含めない
定型の人にはこれが一番難しくて、意味がわからないと思います。
「感情」のように形の見えないものを引用すると、ASDには意味が伝わりにくいんです。
どこの部分かというと
「救われる」と「気持ちに寄り添って」のところです。
そうなると、変換以前に違う視点からのアドバイスが必要になるのでここの文章は丸々変える必要があります。
3.質問の本当の意味を理解する
これが一番難しいです。
この質問の内容を解説してしまうと…
言葉に出して相手に言うことが必要なことは百も承知です。世の中に強制されて「ありがとう、ごめんなさい」を言わなければならないことが腹立たしく、そのようなことをしなければならないことに納得がいかないのです。
なので、この質問の場合はどうしてそんなことをしなければならないのかを回答する必要があります。
私が気を付けていること
定型の皆様には「翻訳」という形でわかりやすく伝えています。
ただ、ASDの皆様に何かを言うときは私としても「当然の気遣い」をしているつもりです。
・否定の言葉を使わない
・抽象的な表現を避ける(具体的に表現する)
・理論的に説明する
・誤解させない
・強制しない
ASD言語→定型言語は「翻訳」機能が未熟ですし
定型言語→ASD言語は上記の「気遣い」がうまくできてないのだと思います。
「ありがとう、ごめんなさい」について回答
にも書きましたが
優しい嘘は相手を喜ばせることができますよ。
それから
という記事には私が「ありがとう、ごめんなさい」のような言葉を使うために納得するまでの経緯が書かれています。
良かったら読んでみてください。
最後に…
いかがだったでしょうか?
お互いスムーズに意思疎通をするためには、かなりの労力が必要ですよね汗
どうやったらこんなことができるようになるの?
と、聞かれると説明することが多くてこんがらがってしまいそうです笑
そのうち、頭の整理がついたら書くかもしれません…
正直データが膨大すぎて整理する自信がありません笑
追記、なんだか違和感があったので補足記事を書きました。
というわけで、今回はここまで。
ASD 心の暗い部分を晒します②
前回の記事で書きました「言語」の違い
こちらを読まれてない方は読んでみてください。
じゃないと、今回の話が通じません笑
さて、それなりに深い心の傷、葛藤、努力がどういうことか説明しようと思います。
私にとって「世間」というのは悪意を持って自分を傷つけてくる存在です。
幼少期から現在まで頻繁に傷つけられてきました。
「英語」を話す人=世間
「日本語」を話す人=自分
()=自分の気持ち
としてみましょうか。
日本語を話す自分は、英語を話す世間と意思疎通をしたいと思いました。
「英語を話したいからちょっと教えてくれる?」
と世間に頼んでみました。(意を決して)
「なんで?普通に話せるじゃん。教える必要ないでしょ」
と言われてしまいます。(傷つく)
自分が世間に話をすると「日本語はわからないよ。英語で話してくれる?」
と言われます。(傷ついて葛藤)
仕方なくたどたどしい英語で苦労しながら話します。
「何言ってるの?よく意味がわからないよ」
と言われてしまいます。(傷ついて落ちこむ)
「英語はよくわからないよ。日本語で話してくれる?」
と世間にお願いしてみました。(屈辱)
「日本語なんてわからないよ。どういうふうに使うか英語で教えてくれる?」
と言われてしまいました。(傷ついて絶望)
こういうことが幼少期から非常に多いです。
「世間の英語」がわからない上に、世間は「英語で説明」することを求めてきます。
なので、私自身は世間の英語を「翻訳」することを覚えるしかありません。誰も教えてくれないし、学ぶにしても先生がいないのです。
ある日、ポロリと愚痴をこぼします。
「どうやら世間の英語がわからなくて、うまく世間と接することができないんだ。困ったなぁ」(本心)
「そんなこと誰にだってあるよ。英語で話してたってそういうことがあるんだから」
と言われてしまいます。(本心否定で傷つく)
そう意味じゃないんだけどなと思い、一生懸命日本語で説明します。(努力)
「すごく自分勝手な言い草だ。もう少し言い方を考えた方がいいよ」
と世間から言われてしまいました。(否定されて落ちこむ)
失礼な話、定型が発達障害にするアドバイスというのは発達障害の人には伝わりにくい上に傷つく言葉のオンパレードだなと思います。
逆に発達障害が定型に問いかける疑問というのは定型にはトンチンカンで的外れに見えるだろうなと感じます。
上記にある「もう少し言い方を考えた方がいいよ」は
定型にとっては発達障害のためのアドバイスで「愛情」だったりするのですが
発達障害にとってはただの「傷つく言葉」だったりします。
さらに、誤解という部分で言うなら「翻訳」に問題があるのだと思います。
例えば
「My name is 世間.Nice to meet you.」と言われたとします。
私は考えます。
えっと、「My name」が「自分の名前」で、「is」は「です」だよな。「世間」はこの人の名前か。ということは、「私の名前は世間です」って言ったのか。
「Nice」は「良い」だったっけ。「to meet」は「会えて?」かな。「you」は「あなた」だから私のことか。「あなたに会えて良い?」なんだか意味がわからないけど、多分そんな感じの意味だよね…
「翻訳」するまでにかなりの労力がかかってますね。さらに、意味が微妙に違います。「Nice to meet you」を「はじめまして」と訳せなかった私は、世間に対してトンチンカンな答えを返してしまうでしょう。
そこで世間は考え直し「私の名前は世間です。はじめまして」と言ったとします。
ホッとした私は「最初から日本語で言えばいいじゃん」と返します。
自分が苦労して英語に「翻訳」したにもかかわらず。相手もそのように苦労して日本語に「翻訳」してくれたのかもしれないのに。
しかし「言えばいいじゃん」に悪気はありません。なぜなら自分は普段から「翻訳」に苦労していて当然なので、世間が苦労していることは普通のことだと思っているからです。
「日本語に翻訳して伝えるのにこんなに苦労している。どうしてわかってくれないんだ?」と世間が言ったとしても
「それぐらい当然のことでしょう。むしろ、こっちは英語に翻訳しながら話しているのに全然わかってくれないよね」と私は返すでしょう。
そこが定型と発達障害の間に起きる衝突なんじゃないかと思います。
そして、その「翻訳」をしてくれるのが精神科やその道の専門家の方々です。
そのような方々に相談することで、多少はお互いの「言語」を理解し合えるのではないかなと思います。
専門家への相談に関してはこちらの記事を参照してください
発達障害に対して
「本人が無自覚で気付かせたい」
「迷惑行為を自覚して改心して欲しい」
という意見が多いなと思います。
どうしたら改善されるかはそれぞれの事例によるので、具体的に言及するのはやめておきます。
ここで言いたいのは、なぜ「気付かなくて」「無自覚」に見えるのかというところです。
以前、母にも
「あんたの“気にしない力”が羨ましいよ。私もそういう風になれたらいいんだけどねぇ」
と言われました。
この言葉には傷つきました。
「そんなことないよ。〇〇とか▲▲とか。気にしてることは沢山あるよ」
「それは普通のことでしょ」
じゃあ、私は何を「気にしてない」のでしょうか。
このことについて、母は根気よく説明してくれました。本当に根気よくです。お互いの「言語」を借りて擦り合わせながら、時間をかけて解決してきました。
なぜ「気付かなくて」「無自覚」なのか。
定型言語を使ってASD言語と接しているからだと言わざるを得ません。
だってASD言語から見れば発達障害の人は色々なことに「気が付き」 ながら世間と話そうとしているんですもの。
大まかに説明するとこんな感じでした。どうですか?わかりやすかったでしょうか……
世間と話すために傷つけられ、どうにか話せないかと努力し、本心をこぼすと否定されて葛藤するという事態。
だからこそ、お互いに「言語」を理解し合う。
これほど大切なことはないと思っています。
ASD 心の暗い部分を晒します
こんにちは、久しぶりのブログです。
ちょっと違う作業が立て込んでいて、文章書きまくりなこの頃ですが……
色々と面白いやり取りがあったのでブログにしたためようと思いました。
ASDの立場の意見が聞けるところもTwitterのいいところですよね、ありがたい
— すめしwithあすぺるハニー (@sumelog) August 18, 2019
ただそんなツイッターでもASD当事者がASDゆえの
・それなりに深い心の傷
・葛藤
・努力
の中身がわかるように発信している人が少なくて、私のASDの理解の妨げになっています
引き続き貴重な発信、お待ちしております😊 https://t.co/2pCHNAMnXd
これを読んで、なるほどなと思ったのです。
まず、このツイートに関して「嬉しい」という気持ちと、「失礼だな」という気持ちがあることをご理解いただきたい。
「嬉しい」というのが定型目線で
「失礼だな」というのがASD目線です。
このツイート一つを取ってみても、これだけ感じ方が違うんです。
私はこれを「言語の違い」として捉えています。
もう少しわかりやすくかみ砕くと、「思考回路の違い」と受け取れるかもしれません。
まず、「嬉しい」と思った気持ちのほうから解説します。
このツイートは私の暴言に対するツイートです。
「舐めんなよ!?」という怒りに対して、そういう意見が聞きたかったと言ってくださいました。こちらとしても、ありがたい限りです。
「暴言吐きますよ」という私の怖いな、嫌われたらどうしよう、という心に寄り添って暖かい返信をしてくださっている。と理解しています。
次に、「失礼だな」と思った気持ちを解説します。
中身がわかるように発信している人が少ない、というのにムカッとします。
「わかるように」というのがどれだけ難しいことか、そんな『当たり前』のことも理解できないのか。
しかも、「引き続き貴重な発信、お待ちしております」って上から目線。どうしてそんなに偉そうに言えるんだろうなと感じます。
上記二つの意見を対比してわかるように、「嬉しい」は理解していて、「失礼だな」は感じているんです。
要は私の気持ちはASDなのですが、定型の人が言うことも理解できます。
それなりに深い心の傷、葛藤、努力を晒す前にもう一つ説明したいことがあります。
先ほども書いた「言語の違い」ですね。
私がなぜ「思考回路の違い」ではなく「言語の違い」と書くのかは後程説明します。
仮にお互いの言語を「定型言語」「ASD言語」としてみましょうか。
例えば
『そこは「ありがとう」って言った方がいいよ』と言われたとします。
定型言語
そっか、ここは「ありがとう」と感謝の態度を示す場面なんだ。実際はありがとうなんて思っていないけど、アドバイスをもらったし「ありがとう」と言ったほうが良いな。
⇒ありがとうと言う
ASD言語
自分は「ありがとう」と思ってないよ。思ってもいないのに「ありがとう」と言ったら嘘をつくことになってしまう。それは良くないことだ。
⇒ありがとうと言わない
さてさて、定型言語の皆様はASD言語の人にどうして「ありがとう」と言うか説明できますか?
逆に、ASD言語の皆様は定型言語に「ありがとう」と言わない理由を説明できますか?
ここで焦点のなってくるのは「どうして」と「理由」というところです。この時点でお互いの「言語」が違うことがわかると思います。
では、何となく中間地点に立っていると自負している私がお互いの言語を「翻訳」してみます。
ASD言語の皆様へ どうして「ありがとう」と言うか
この例題には3人の登場人物がいます。自分、アドバイスをしてくれた人、ありがとうと伝える相手。思ってもいないのに「ありがとう」というのは不誠実に感じるかもしれません。とは言うものの、アドバイスをしてくれた人も、ありがとうと伝える相手も、あなたが嘘をついて「ありがとう」と言ったからって「不誠実な人」とは思いません。なぜなら心の中身は自分にしか見えないからです。「不誠実な人」と思われる理由はもっと別なところにあります。気持ちの説明をすると、アドバイスをしてくれた人は「どうしてありがとうって言ってくれないんだろう悲しいな」ありがとうを伝える相手は「感謝されるようなことをしたのに寂しいな」と思っているかもしれません。ならば2人の気持ちに寄り添って「ありがとう」と言ってあげましょう。優しい嘘は人を喜ばせることができますよ。
定型言語の皆様へ 「ありがとう」と言わない理由
この状況で「ありがとう」と言わないのは、その場の雰囲気が悪くなるだけではありませんね。せっかくアドバイスをした人も、「ありがとう」と伝える相手も、どちらの気分も害してしまいます。しかし、「ありがとうと言う」行為がとんでもなく苦痛だとしたらどうですか?全身を針で刺されるように、吐き気をもよおすほど。そんな不快感を感じていたら相手を不愉快にさせてしまったとしても、なかなか「ありがとう」とは言いにくいものです。堪え難い不快感、それが「ありがとうと言わない」理由です。
どちらにも言い分があって、間違ったことを言ってないと思います。
定型の皆様は「優しい嘘」という表現で、「ありがとうと言う」苦痛を和らげるという発想が思い浮かびますか?
ASDの皆様は3人の登場人物とそれぞれの気持ちをすぐに想像できましたか?
この事例から、同じことが起こった時に感じていることも違えば選択も違ってくる。ということがわかるんじゃないかと思います。
というわけで「言語の違い」について説明してみました。
お互いの思考回路が違うので、私も自分の気持ちを定型の人に伝えるときは「翻訳」しなければなりません。逆に、定型の人の言葉を受け取るときには「翻訳」しなければ理解できません。
ここまで読むと「中身がわかるように発信している人」が少ない理由は理解できるんじゃないかと思います。なので、「引き続き貴重な発信、お待ちしております」というのも、どんだけ考えて言葉を「翻訳」して伝えなければならないのか……と思うと「失礼だな」と感じてしまいます。
あくまで個人的な見解なのですが
ASDの人が怒っているときは大概、この「言語」の違いなんじゃないかと思うんです。世間一般の言葉を受け取るために、どれだけ「翻訳」に労力をかけているのか。それも知らないで、勝手なこと言わないでくれよ……と。
定型の人が怒っているときは、「理解」に対しての労力なんだと思います。あなたのことをこんなに理解して、いい方向に向かうように工夫しているのに伝わらない。どうしてこんなに一生懸命伝えようとしているのに、受け取ってくれないの……と。
どちらも正しい気持ちであり、意見であると私は思います。
だから、私の言う「相互的な行為」というのは
お互いの「言語」を理解し合うことです。
思考回路と表現するよりも「言語」のほうがわかりやすくないですか?
さて、ちょっとお気楽に(笑)
心の暗い部分を晒そうと思ったら説明でこんなに長くなってしまいました。
というわけで……次回に続く!⇒ASD 心の暗い部分を晒します②